辛島侑烈
1997年1月15日生まれ
アマチュアサッカー選手
私は2人の兄の影響で5歳からサッカーをしています。兄の試合を見に行き落ちているボールで遊んで、スクールに通い、チームに所属し、というのが私の中で当たり前で、物心ついた時からサッカーが生活の中心にあって、それが全てでした。
今はプロになるために海外でサッカーをしています。ここに至る経緯と自分の思いを綴らせてもらおうと思います。
小学生の頃は周りより始めるのが少し早かったこともあり、地域の中ではちょっと上手だったので、福島県の選抜や東北選抜等も何度か選んで頂き、たくさんの刺激をもらいました。
中学では両親や周りの方のサポートもあり、ベガルタ仙台Jyのセレクションに合格したことで、全国まである大会はすべて全国まで、U-14のエリートプログラム、メニコンカップにも選出してもらったりとさらにたくさんの刺激をもらうことが出来ました。その後高校は神奈川の桐蔭学園、大学はびわこ成蹊スポーツ大学へとスポーツ推薦で入学しましたが、目立った成績を残すことが出来ずに終わってしまいました。
ざっくりとこんな学生生活でしたが、この学生生活を振り返ると自分だけでは何一つ成し遂げることが出来ていないことに気が付きました。中学までは自分の成長が実感できるほどに充実したサッカー生活でしたが、この頃は身の回りのことも両親が全部やってくれて、父や知人のアドバイスのもとベガルタ仙台のセレクションに行き、というプレーだけに集中すればいい環境にいましたが、高校からは違いました。
高校や大学では親元を離れて寮生活や1人暮らしで、自分のことは自分でやらなければいけない環境になり、結果がどんどん出なくなってきたのは今振り返ると明らかです。本当に周りの方のサポートがあってこんなに楽しく充実したサッカーが出来てたんだと改めて思いました。
大学卒業後に海外に行くことを決めたのも、自分がサッカーを続けたいというのももちろんありますが、今までサポートしてくれた周りの方、特に両親にサッカーで恩返しがしたい。というので初めて両親に「海外に行きたい」とお願いをしました。自分の中で期限を設けて3年で結果が出なかったら諦めるという覚悟のもとドイツへ行きました。
コロナの影響で1年弱プレーし帰国し、8月からラトビアで新たな挑戦をしています。
「感謝」「覚悟」そんな言葉をキーワードに自分が設けた残りの期間を精一杯チャレンジします。