マイノリティーを持ち生まれたことで、多様性を目指す”日本代表”

野寺 風吹(のでら ふぶき)
筑波大学蹴球部 / 株式会社メルカリ
北海道上富良野町
1998 年 1 月 27 日

聴覚障がいを持つ野寺風吹さん。彼は筑波大学蹴球部に所属し、デフフットサル(デフ=聴覚障がい者)
の日本代表としても活動する。また、生い立ちの影響で“多様性”を認め合う社会を目指して生きる。

活動内容

デフフットサル日本代表となる以前は、デフサッカーの日本代表だった。活動費はバイト代ですべて賄っていたが自己負担が多く、ワールドカップのアジア予選が終わる頃には貯金が尽きた。その後、デフフットサル日本代表への誘いがあったが、活動資金が足りず…。思いついたのがクラウドファンディングだ。しかし、短期的な活動資金しか生み出せないという問題もある。そのため、まずはクラウドファンディングで目標を達成し、アクティブに動いている自分を示す。それを元に、スポンサー獲得を狙うことにした。結果的にはご縁が繋がり、現在はメルカリ契約選手だ。おかげで、現在はアスリートに集中できるようになった。

また、日本障がい者サッカー連盟でインターンもしている。
インターンの活動内容は、障がいの特性を生かしたリクリエーションや、コミュニケーションを密に行うための教育プログラムを普及すること。小学校の道徳の授業や、企業の新人研修・社内研修などでそれらを体験してもらう。また、プログラムとして売り出す際は障がいを抱えた人が売り込むと説得力があるので、営業もするそうだ。

マイノリティーと多様性

小学生から高校生まで、過度ないじりや嫌がらせを受け悩むことがあった。幼い頃は反発して手を出してしまうこともあり、担任の先生には事情を聞いてもらえず、ただ怒られた。それが徐々に人に対して不信感を持つ事に繋がってしまい、「大人になれよ」と声をかけられても“俺は悪くないのに!”と反発心を持っていた。

しかし、相手ではなく自分にベクトルを向け、何が嫌なのか考えてみた。“幼少期、地味な発音練習を必死でしたから話せるようになったのに、発音をいじられるのは辛い。”このように、嫌だと感じることに理由を探すと、少し楽になった。

世の中、大半の人は結果でしか評価しない。これまでの過程は認められないことが分かったから、他のことで勝負する。結果で評価を得る。野寺さんはそう決意し強くなったが、世の中にはうまく対処出来ない人も大勢いるだろう。

『みんなが楽しく生きられる社会が理想かなって。それを伝えていけたらと思うけど、めちゃくちゃ難しいことだと思う。だからこそ、自分の経験を踏まえたうえで、こういう対処法もあるよって伝えていけたらと思います。』

野寺さんは、ジェンダーや男尊女卑についても考える。理由は、自分が当事者として受けた痛みのことを考えると、感情が勝ってしまうからだ。別の社会問題に対面してきた人のことを考え、その視点から発信する。そうすることで、マイノリティーの痛みを感情論に頼らず正確に伝えることができる。それに気づいてからは、様々な人の立場で“マイノリティー”について考えるようになった。


『マイノリティーの立場で受けてきた痛みは当事者にしか分からない。また、社会問題のマイノリティー的な立場で痛みを受けてきた、無視されてきた。その痛みはみんな同じだなと思っています。なのに現状は、マイノリティーの人同士で“マウント”をとりあっている気がします。様々な差別があるけど、それらを全く別物だと捉え、大小をつけてしまうのはよくない。その人なりに恐怖とか痛みを感じていたのに、それに寄り添えないのは違うっていうか、寂しいっていうか、平和じゃないなと思って。やっぱり社会問題について真剣に考えて、痛みを分かち合うことができる社会のほうがいいなって思っていたので。まずは当事者同士が痛みを分かち合える社会になればいいなと思います。常日頃そういうことを考えるようにして、出来るだけ言語化するようにしていま
す。』

マイノリティーの立場の人が互いに痛みを共感できるようになれば、マウントを取り合うこともなくなる。単純に意見交換出来る関係になれば、絶対にポジティブな関わり方ができる。障がい理解・多様性理解・人種・LGBT などの現在の社会問題は、相手の立場を考えることが出来れば基本的に起きないことなのではないだろうか。それを小さい子どものうちから伝えることで、もっと平和で、多様性が認められる社会になると信じている。

アスリートとして

日本代表は障がいの有無に関係なく、日の丸の重みを背負う。彼はいま、筑波大学蹴球部ではトップチームに関わることができていない。“俺よりうまいやつがいるのに、俺が日本代表か。”という葛藤はあるが、その葛藤と日々戦いながら練習しているし、その葛藤はなくしたい。だから自身のレベルを高める。その過程を見守ってほしい。デフフットサル・デフサッカー両方で日本代表を経験したが、デフ競技はパラリンピックに種目がなく、デフリンピックという別の世界大会に参加する。デフリンピックも 2025 年の東京招致に向け動いているらしく、そこまでは選手を続けたいと考えている。

障がい者競技…?

デフの子供たちには、デフの日本代表を目指してほしくない。まずは A 代表を目指してほしいと考えている。アメリカでは、ワールドグランプリにデフの選手がまじっているし、陸上円盤投げ男子の日本記録保持者は、デフの選手だ。サッカーは団体競技だから難しいかもしれないが、そういう人を増やしたい。だから今後もデフの活動だけじゃなく、聞こえる人とも一緒にプレーしたいと思う。デフという枠にとらわれずにサッカーするっていうのが、本来あるべき姿、目指すべき姿だ。

人としての覚悟

メルカリとは業務なしでアスリートに専念させてもらえる契約で、そこに強い覚悟がある。その覚悟は、活動を通して誰かに勇気を与えるとか、感動を与えるとか、挑戦の後押しをするとか。そんな存在を目指し続ける。しかし、ただやっているだけでは自己満で終わってしまう。だからこそ、note やツイッターで発信をして、1人でも多くの人に直接伝える。そして口だけではなく、常に挑戦を体現して、何か影響を与えられる人でありたい。

生きやすい社会、人と人が認め合える社会をつくりたい。例えば、自分の価値観にないものを、まるで人間ではなく異物として扱うような人が多いと感じる。LGBT や同性婚が最近話題になるが、“自分の価値観にない”“気に入らない”と排除してしまう人がいる。気にいらないのは自由だが、それを排除する社会は、圧倒的にマジョリティーが優先されている。そんな社会は平和じゃない。だから、そうでない社会をつくっていきたい。難しいことだが、社会を変えてきたのはいつだって挑戦してきた人だ。だから生涯に渡り、人が生きやすい社会を目指すために挑戦したい。

私にとっての connect

大学サッカーで現役は終わりだと思っていた。大学に入るまでは、デフや代表のことを全く知らず、
自分が納得してサッカー人生を終えられるようにと考えていた。デフに出会ったことで、大学サッカー
を最後に納得して引退する予定が、トッププレイヤーをまた目指すことができた。いま、デフサッカ
ー・デフフットサルが繋いだ夢をみている。

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