This is me
岩本真治/Iwamoto Shinji
現在、19歳という若さでメンタルコーチとして活動する岩本真治さん。メンタルコーチングの認定資格を取得し、学生サッカー選手を中心に継続サポートをしている。なぜ、その若さでプレーヤーを辞めメンタルコーチへの転身に至ったのか、その“想い”をお聞きしました。
夢はプロサッカー選手
岩本さんは、小学1年生から高校3年生まで約12年間、サッカーをしていた。中学校までは地元のチームでプレーし、高校入学と同時に親元を離れ寮生活をはじめた。
夢は、“プロサッカー選手”。
幸い小学生の頃から、レベルの高い指導者の方々にサッカーを教わる事が出来たそう。チームで全国大会に出場し、個人としてもトレセン(選抜)でレベルの高い人達とサッカーをする事でさらに成長できた。
“自分はプロサッカー選手になれる”という自信が日々、大きくなった。
プロへの道をより明確なものにするため、高校入学と同時に地元を離れ寮生活をはじめた。
『たくさんの人達が応援してくれている。支えられている。だからこそ絶対にプロサッカー選手になるんだ。』
そんな思いが胸にあったそう。
高校入学
中学2年生の頃に選考会に呼ばれ、早い段階で進路を決定することが出来た。入団が決まったチームはJリーグクラブのユースであり、プロへの道を思い描かずにはいられなかっただろう。入団を楽しみにしていたと想像できる。
だが、その後、岩本さんの身に大きな悲劇が起こった。
4月のある日、朝目が覚めると、
『ここがどこなのか分からない』
『何をすれば良いのか分からない』
『なぜここに居るのか分からない』
どこか冷静に、それでも突如のことで頭も身体もついて行かず、自分の身に何が起こっているのか理解が出来ずにいた。
当時、岩本さんはV・ファーレン長崎のユースチームに入団するため、長崎にいた。しかし、その朝、岩本さんは長崎にいることが理解できなかった。長崎に来たという認識もなくなっていた。
どこか冷静に行動できた岩本さんはまずコーチの部屋に向かい、近くの病院に行った。
“記憶喪失”
地元で高校入学を楽しみにしていた記憶から、突如長崎の寮で目覚めた。その間の記憶は一切無い。記憶喪失というと、名前も何もかもが分からなくなる事だと誤解されてしまうこともあるが、岩本さんは、約2週間分の記憶をなくした程度だった。
しかし、原因は不明。特に頭に強い衝撃を受けた訳でもない。病院の先生には、急に環
境が変わったせいでストレスを感じているのではないか、と告げられた。
『孤独感、絶望感、無力感、怒り、マイナスな感情だけが僕に覆い被さってきました。体からは負のオーラが溢れ出ていたと思います。プロサッカー選手になるために地元を離れて長崎にきたのに、それからは全くサッカーに対して本気で取り組む事が出来ませんでした。』
約2年、ずるずると記憶喪失の衝撃を引きずったまま、切り替えることが出来なかった。それでも、高校最後の年、家族・監督・チームメイト・チーム関係者のおかげで、また少しずつサッカーに対して本気で取り組む事ができるようになった。
しかし、あっという間に卒業の時期になり、高校卒業と同時にサッカーをプレーすることを辞めた。
メンタルコーチ
岩本さんはそれまで生きてきた、約18年の短い人生を振り返った。必然的に、印象が強くあるのは“記憶喪失”に陥ったこと。
『もし、プロサッカー選手という目的を見失わず、自分で目標を設定し、それに向けて努力する事が出来ていたら。もし、自分で自分のメンタルをコントロールし、しっかりと切り替えることが出来ていたら。』
そう考えていた高校卒業後、初めてメンタルコーチの存在を知った。
『もし、身近にメンタルコーチがいたら。もし、メンタルコーチという存在を知っていたら・・・。自分の現状は変わっていたんじゃないか。』
そんな想いはあとの祭りで、岩本さんが2年間サッカーに本気で取り組めず苦しみ続けた事実は、もう変えることができない。
『それなら、自分がメンタルコーチになればいいじゃん!』
自分の“記憶喪失”という悲劇的な経験から、同じように心の重荷を抱えてスポーツに取り組む人たちをサポートしたい。メンタルコーチになり、“本気になることの楽しさ”を伝え、目標達成をしてほしい。
『自分のように、目標を叶える絶好の環境があるにも関わらず、何らかの出来事で本気になって取り組む事が出来なくなってしまう、そんな人を少しでも少なくしたい。目標達成のサポートをしたい。そう強く思いました。』
何かに本気で取り組む、目的に向かって努力することがどれだけ幸せな事かを理解して、自分と同じような経験をした人たちをサポートしたい。同じ苦しみに浸ってほしくない。
これが、岩本真治さん、がメンタルコーチをはじめた理由です。
小学生が5分で理解できるメンタルコーチング動画